保育士は専門職で世界でも活躍できることを伝えたい。
タイトルの通り、
保育士は専門職で世界でも活躍できることを伝えたい。
という思いでこのブログを立ち上げました。
・今日本の保育園や幼稚園で働いているが、何か環境を変えて新しいことに挑戦したい
・日本で保育士などの資格をとったものの別の分野で就職し、今の仕事にやりがいを感じていない
・ 今の仕事は保育士などではないが、子どもに関わる仕事にキャリアチェンジしたい
・他国の保育や文化に興味がある
・海外就職に興味はあるもののいまいち踏み切る勇気がない
などといった気持ちを持っている方へ、少しでも力になれたら嬉しいです。
注目ポイントは「世界でも」という部分です。
日本でももちろん保育士として活躍できますが、その資格や経験一つで海外に行けて、住むことができて、賃金ややりがいを得られる。自分の可能性が広がることを知って欲しいのです。
年齢やキャリアは関係ないと思います。
シングルマザーでも家庭があっても、パートナーがいても。
もちろん相手の理解は必要ですがなんでも「遅い」ということはないです。
「やってみたい!」という好奇心や「子どもが大好き!」という情熱はチャンスがある時になんでもやって見るべきだと思います。その気持ちを大切にして欲しいです。
私が今まで海外で働いた経験は仕事だけではなく、
国外にも友達ができて、異なる言語を使って、
日本と全く異なる気候を体験できて、
美味しいものをたくさん食べられて、
保育士でもお金に困ることなく、貯金もでき、
様々なバックグラウンドの人がいることを知って
まだまだ知らないことはたくさんあるけど、過去の歴史に触れて日本と他国の関係を知り、
日本を愛してくれている人がたくさんいて、
自分の中の教養はぐんと深まった気がします。
ここに書いた以上にもっとたくさんあって、良いことだけでなく、おバカな失敗もたくさんしましたが、間違いなく一生の財産です。
私は子どもが大好きでこの道を続けていますが、
幼稚園や保育園などでの子どもたちの「経験」がいかに重要か身を持って体感しました。
「自分がどこまでできるのか、力を試したい。でも失敗もする。次に成功した時はもっとパワーアップしてる。次はこうしてみたい」
2歳児の成長過程によくあることって大人も同じだと思っています。
自分がその気持ちをよく理解していれば、子どもの気持ちも共感できて、もっと保育も楽しくなること間違いないです。
少し前置きが長くなりましたが、まずは自己紹介から。
29歳、女。短大卒。元保育士、幼稚園教諭。現場経験は計約7年。
現在は、アメリカ・カリフォルニア州の1年通して気候が良いと言われているベイエリアに住んでいます。3〜11月くらいまではずっと日本でいうと秋のようないい天気みたいです。
ピクニックできる一面芝生の公園もたくさんあります。
現在は保育の現場では働いていませんが、自宅で小さな保育園の開園を目指して色々と勉強しているところです。
今までの私の人生を簡単にまとめてみます。
ー高校時代ー
公立の志望校に入れず、偏差値が低く体育や部活に力を入れている私立学校に入学。
毎日2〜4時間体育の時間がある本気系の体育科に所属し、後悔する。部活では小さい頃から習っていた新体操を生かしてダンスに没頭。それまで海外に行ったことはなく、興味もなく、「どうせ将来は日本で快適に暮らせるだろうから英語はやらなくていいだろう。」と全然勉強せず。言われた通りのことは真面目に取り組んでいた。
ー短大時代ー
学びたかった幼児教育で定評のある志望校に入学。
「学び」に対して情熱的な教授に出会い、衝撃を受ける。一方的に受けて、記憶する座学だけではなく、教科書以外のこともたくさん教えてもらい興味の幅が少し広がる。初めて「自分でこれをもっと調べてみよう」「わかりやすく伝えよう」と積極的に考えた時期だったと思う。
当時流行っていた「あいのり」という旅番組に感化されて短大のフィリピンキャンプに参加。ほぼ初海外。(高校の修学旅行でオーストラリアにいったが集団で常に動いていたため記憶なし…)
そこでフィリピンにいる子どもたちと遊ぶ中、フィリピンのイメージがガラリと変わる。
「フィリピン=貧しい イメージだったけど、実際には大人も子どもも関係なくものすごくフレンドリーで笑顔が溢れていて、なんて豊かなんだ…」と。フィリピン初日からたくさんの子どもたちに歌って踊って歓迎されて、滞在最終日は7〜9才くらいの子どもたちが泣きながらお別れの歌を歌ってくれた。その経験は今でも鮮明に覚えているくらい衝撃で心温まったのに、帰国後に他の友達などにそのことを話しても対しても彼らのイメージは変わらなかった。
映像で見るものと実際に感じるものにはこんなにもギャップがあって、体験した人にしかわからない面白さはこの時にすごく実感したと思う。
そして、短大在学中の保育実習がスパルタで園の雰囲気が独特すぎて、幼稚園や保育園の先生という将来の希望を失いかける。進路を決める際にそれまで没頭していたダンスを仕事にしようか悩む。
ー短大卒業後ー
結局ダンスの道は諦めて、3月30日(!)にギリギリで地元の幼稚園への就職が決まる。
とても巨大な幼稚園で園児も多く、1学年5クラス、1クラス35人定員いっぱいの子どもに先生1人。人数が多いのでどんなにベテランの先生でもひとりひとりの個性を出すことは不可能に見えた。あまりにも多くの時間を幼い子どもたちが集団で過ごしているところを見ていると自分も苦しくなってきて1年で退職。
(この時、幼稚園の夏休みを利用して約1ヶ月、憧れていたニューヨークへ行きダンスを習って撃沈。ハイレベルすぎてダンサー目指していた自分がとても恥ずかしくなったし、憧れていた場所は汚い、怖いところも多いし、治安悪くなる夜に道に迷って号泣し、何よりもホームステイ先のおばちゃんが全然優しくなかった。簡単な英語でさえも発音が悪いために全く通じず、とにかく辛かった。)
その後保育園に転職し、ベテランの先生から「保育の技」を吸収する。子どもとのコミュニケーションってちょっとしたコツでとても面白いことに変わって、保護者に対する心遣いなどとても勉強になった時期。週末の息抜きにヨガを始める。
ー迷走時代ー
ここでちょっとおかしい私はヨガに没頭し始め、ヨガインストラクターの資格をとりたくなり「日本でとるのは費用が高い。本場だし安いしインドに行こう」と決めて親の反対を無視して、南インドへ強行突破。
(当時日本人がインドのバスでレイプされたり、インドの気温が上昇しすぎて死亡者が出る、横断歩道が溶けるなどネガティブなニュースが続いていたので親は反対。好奇心の方が勝って反対を押し切ったけど、自分の娘がこんなだったら頭抱える。今思うと心配かけてごめんなさい。)
1ヶ月のヨガ修行を経てまた日本に戻った時、キッズ向けにヨガがあることを知る。
保育園で働きながらキッズヨガの勉強をする。
3年間働いた後、キッズヨガを実践するために国立の大学院に社会人コースを受験し、落ちる。
この時は保育園で働いていたのに自分の中で何かが足りなくて、将来の自分が全然見えない、不安で仕方なくて仕事が早く終わった帰りはスタバに寄って何がしたいのか計画をノートに書きまくっていました。
大学院という場所を諦めて違うフィールドを探した結果、他国の幼稚園で2年半働くことに。
任期満了後、日本に帰国。
次のことが決まるまではベビーシッターをして250家庭くらいのサポートをする。
ー帰国後からー
国際結婚をして、2020年3月アメリカに引っ越してきて現在にいたる。
これから書きたいコンテンツは
・海外の幼稚園や保育園で就職するには?
・日本の保険や年金はどうしたらいいのか
・色々な国の比較(ビザや費用、気候、雰囲気など)
・日本の保育士が海外で重宝される理由
・必要な英語力について
・海外の保育や子育て事情
・海外へ行くには貯金はどれくらい必要なのか
・日本の保育士の資格を他国で使えるように書き換えるには
・私の海外での就労経験談
・海外で保育士・幼稚園の先生として働く日本人にインタビュー
・海外、現地の保育園や幼稚園の視察やインタビュー
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Chii